書く習慣【Day5】わたしの子供時代は山あり谷あり

みなさん、こんにちは😆

書く習慣1か月トレーニング5日目突入

6分の1が終わったことになります♡

昨日は「言語化って改めてすごいなぁ…」

と思っていたら樺沢紫苑さん新刊の

「言語化の魔力」が届くミラクル👀

11月の講演会も楽しみです✨

さて!Day5も書いていきますよ~

【Day5】昔はどんな子どもだったのか

 

おお、私の幼少期を振りかえる日ですね💡

構成がなかなか難しそうだけど、

幼稚園、小学生、中学生、高校生

4つに分けて自分を振りかえってみます✨

【幼稚園】2度の入院、卒園式は溶連菌で欠席

ママとパパの前では寂しくないフリしてたけど、2人帰ってからいつも布団かぶって泣いてたなぁ。

幼稚園生のころのわたし病気がちで、

3週間程の入院を2回もしました(;_;)

しかも原因不明だったらしく…

41度の高熱が出つづけるという

なかなか生死が危ない感じだったとか←

「幼少期にあまりの高熱が出続ける場合は、

後に脳に障がいが残るかもしれないです」

って両親は医師に伝えられてたそう🙄

(たぶん何事もなく成長しました笑)

まだ4歳だからよくわからなかったけど、

お尻だか腰に大量の針をさす検査があって

めちゃくちゃ痛かったことだけ覚えてる…

(髄膜炎の疑いで髄液を調べたんだっけな)

そんなこんなでしたが私は入院中も

公文の英語プリントを楽しく解いたり、

ママにお願いしてひらがな練習帳を

ひたすら書いたり勉強を楽しみました(笑)

家でも英語のCDを永遠と聴いて発音するほど

勉強が楽しくて仕方なかったんです😅

親にやらされたわけでもなく、

自分がやりたくて始めたことだったから

楽しくて夢中になれたんだと思います✨

6歳の誕生日は入院していたので、

退院してからお祝いしてもらいました😊

誕生日を元気な状態で祝ってもらえる

ありがたみを6歳ながらに感じました✨

卒園式は残念ながら欠席。と思いきや…

幼稚園の卒園式は、きっと一生忘れないだろうなぁ

見出しの通り、卒園式前日に具合が悪くなって

病院に行くと溶連菌(ヨウレンキン)の診断。

あの気持ち悪さとしんどさは今でも忘れない😫

卒業式は、残念ながら出られませんでした。

「みんなといっしょに出たかったなぁ。」

…と思ってたら園長先生からママに連絡。

なんと、別日に私ひとりの為に卒園式を

もう一度やりませんか?との提案!!

当時はやったー!とだけ思ったけど、

大人になった今はどれだけ有り難い提案か

分かるからうるうる感激です(´;ω;`)

大好きな先生たちがみんな後ろにいて、

大きなホールで一人で元気に園歌を歌って

卒業証書的なものを受け取った記憶が

いまでも鮮明に残っています😊🌸

ちょっと病気がちだった2年間だったけど、

ひとり卒園式は今でもいい思い出です✨

【小学生】あだ名はギャル曽根、大食い女子

2人前はデフォルト。みかん15個食べてた時もあったなぁ。笑

小学生の頃は病気もほとんどせず、

元気に6年間を過ごせました✨

1日の中で1番好きなイベントは、給食!

正直、自分の小学校は給食超美味しくて

豪華だったなと思っています🤤

(手づくりのものも多かった!)

だから、毎食2人前は食べてました。笑

おかわりも男子に混ざって全部とって、

友だちが食べれないフルーツもらって、

とにかく食べてたので友だちから

「ギャル曽根」と呼ばれるまでに😅

親にはこのこと隠してたのですが、

小学3年生のときに三者面談があって

母が教室の外で待っていたときに、

「あ!ギャル曽根のお母さんだ!」

って同級生の男の子に言われたらしくw

それで母にたくさん食べてることが

バレたという懐かしいエピソード(笑)

献立表を眺めるのが本当にしあわせで、

2日後までの献立はほぼ暗記してました😋

なので、授業中に「今日の給食はなに?」

と友だちに聞かれたらスラスラ答える私←

記憶力がいいとよく言われますが、

日々の献立で鍛えられたのかな?(笑)

とにかく給食が大好きな小学生でした😆

中学生:受験に失敗、くじ引きで後期受験

唯一、人生どうにでもなれってなった時期。

中学は高校受験を必死に頑張ったものの、

第一志望校に落ちてしまいました。

(過程を書くととんでもないことなるので

ここではあまり深くはかきません💡)

私はその学校しか見ていなかったので、

滑り止めは一つも受けてませんでした。

部活動の関東大会にも出場しつつ、

ダンスで怪我した右肩のリハビリに通いつつ

3か月で偏差値53→64まで上げまして、

なかなか頑張った夏~秋と思います🔥

だけど試験当日の終了時間を勘違いし、

まぁまぁ得意な国語で大失点。

行きたい高校に行けず人生終わったレベルの

絶望感を味わいました←今思えばかわいいね笑

どうでもよくなった私は後期受験どうしたか?

さすがに中卒は親に申し訳ないと思って、

後期受験は受けることにしました。

けど、受験学校をくじ引き感覚で決めました。

千葉県内の高校が載ってる分厚い本を

ペラペラ~とめくりストップしたページの

学校を受験するというスタイル。笑

結果的に私はストップで開いたページの

学校を受験して入学することになります🏫

それくらい「人生もう終わりだー」って

絶望してたんですね、当時のわたしは😂

そんな程度で、人生終わらんって(笑)

と、当時の私に教えてあげたいです😂

高校生:金と時間、人生をディズニーに捧げたDヲタ女子

ディズニーで写真撮ってる時間が一番だいすき✨

グレたまま高校入学しましたが、

泣いても笑っても3年間ここに通う。

なら吸収できることは吸収しまくって

自分のやりたいことをやる3年間にする!

と改心。我ながらよく立ち直した👏

第1志望の高校より偏差値は10以上低かったので

正直授業に出てればテストで平均80点以上

取れている感じの状況でした。📝

だから、とにかくわたしは遊びました!笑

そう、年間パスポートを自分のお金で買って、

たくさんたくさん通いまくりました✨

3年生の夏にディズニーキャストも受かって

昼間はJK、夜はディズニーキャストという

憧れのライフスタイルを送ることも実現。

月に25回ディズニーに行くもはや廃人。笑

学生なのに舞浜まで通勤定期買って通ったw

でも、めちゃくちゃ楽しかったです✨

一応成績も評定4.2以上だったので、

受験ではまったく困ることなく

6月頃にあっさり終えてとにかく

ディズニーに全時間と全バイト代を

つぎ込んでいたなぁと思います😂

後悔?するどころか時が経てば経つほど

「バカみたいに何かに夢中になる経験を

高校時代にやれたって最高だなぁ✨」

なんて、思います(笑)

周りの目なんて芸能人でもあるまいし、

そんなもんは、幻想です。

だから、やりたいこと突き詰めましょ!

【まとめ】子どもはある程度、ハメはずしてこ。

人は経験からしか学べない。私は親から間接的にそう学んだつもりです💡

どんな子どもだったかと言われると、

まぁ、山あり谷あり激しかった(笑)

普通って言葉はあんまり好きじゃないけど、

少なくとも「普通」とは程遠かったかな😂

だけど、自由に思うままに活動してた部分は

幼稚園の時から変わらないかなと思います。

おとなになっていきなり自分らしく生きるとか

ハッキリ言って無理な話ですからね💡

20年間の習慣を覆すなんて至難の業。

子どもの頃からのびのび自由にやって、

派手に転んで思い切りグレて、

そんなこと繰り返してれば勝手に自分で

改心する気になるもんです(笑)

誰かが正そうとするから副作用として

その子が心を閉ざしたり更にグレたり

大変なことになると思ってます。

親はある程度、子どもを放置するってことが

大事なんじゃないかなぁと実体験から思います。

だから、自分の親には感謝してます✨

あなたも自分の子ども時代を振り返ると、

いまの自分が作られたキッカケや意味が

いろいろ分かってくるかもしれません🍀

ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、

ぜひ振り返ってみてくださいね😋

コメント

  1. かりちょん より:

    Day5👏👏👏(ˊᗜˋ*)
    幼少期から学生時代までのエピソードが中々ハードで楽しく興味深く読ませて頂きました😊
    活発女子がよく現れてますね😁
    子育て中の親にもとても参考になる内容ですね∑d(d´∀`*)グッ!

    • みゆなお みゆ より:

      かりちょんさん🌺

      5日目も無事に更新できました😆
      今日も読んで下さりありがとうございます✨
      子供の頃からいまに夢中で生きてたので
      振り返るとドタバタですね(*ノω•*)テヘ
      子供はある程度ほっとかれたほうが
      自分で考える子に育つと思ってます😁

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